Posts In: ヨガ哲学

My Yoga Tetsugaku (Philosophy)

The Paradoxes of Yoga & Asking the Right Questions


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ヨガがポーズだけではないことをよく知っています。ヨガは肉体的なものだけでなく、精神的な修行であることも知っています。形は中身の代わりにはならないことも知っています。

しかし、これは本当はどういうことなのでしょうか? どうやって練習すればいいのでしょうか?  そして、それをどのように共有し、教えるのでしょうか?

ヨガの先生として、ヨガの実践者として、これらは私たち自身に問いかけなければならないことです。

考えてみると、ヨガは多くの興味深いパラドックスを提示してくれています:

  • 身体的な「アーサナ」を練習すること。しかしながら、アーサナが目的ではないこと。
  • 「ヤマ」(コントロール)や抑制を実践すること。しかしながら、自由になり、’mukti'(ムクティ)と’moksha'(モクシャ)を見つけること。
  • “atha yoga anushasanam” (アタ ヨガ アヌシャサナム)と呼ばれるように、真面目に取り組むこと。しかしながら、楽しみ、喜びと ‘ananda’(アナンダ)の至福を感じること。

それだけではなく。。。まだあります!

ヨガでは、私たちは一人一人ユニークであり、より大きな知識や‘samadhi’(サマディ)と呼ばれる悟りの境地に至る独自の道があると教えています。 では、なぜこれほど多くの人が同じ練習をしているのでしょうか? 

私は修行者です。私は指導者です。しかし、私は実際にはこの役割ではないことを知っています。ヨガの文献がそう教えてくれています。

しかし、それはどのように感じられるでしょうか?そして、それは現実の世界や私の人生ではどのように表現するでしょうか?

まだこのような質問をしたことがないのであれば、今がその時です。 

さあ、旅に出ましょう。


My Yoga Tetsugaku (Philosophy)

The Paradoxes of Yoga & Asking the Right Questions

We all know that yoga is not about poses. We know that it is a mental practice not just something physical. We know that form is not a substitute for substance.

But what does this really mean?  How do we practice this?   And how do we share and teach this?

As yoga teachers and as yoga practitioners, these are questions we need to ask ourselves.

Come to think about it, yoga presents us with so many interesting paradoxes:

  • Practice physical ‘asana’ but it’s not about asana!
  • Practice ‘yama’ control but become free, find ‘mukti’ and ‘moksha’
  • Be serious and committed – “atha yoga anushasanam” – but have fun, feel joy and ‘ananda’ bliss

But wait, there’s more!

Yoga also tells us that each of us are unique and have our own path to some state of greater knowing or ‘samadhi’ enlightenment.  Then why are so many of us doing the same practice?  Or are we?

I am a practitioner. I am a teacher.  But really, I know that I am not these roles.  All the texts have taught me this. 

But what does that feel like? And what does that look like in the real world and in my life?

It’s time to ask these questions if you haven’t yet.  

Let’s journey!

How To Be With Your Practice


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練習との向き合い方

猿の神様であるハヌマーンは好奇心旺盛な少年でした。 毎日のように母親の服を引っ張っては尋ねていました。

 「ママ、ママ、どうして空は青いの?」

「ママ、ママ、雲はどこから来るの?」

「ママ、ママ、お日さまは夜どこに行くの?」

「ああ、小さなハヌマーン、あなたはとても多くの疑問を持っています。でも、私は全てに答えることはできません。 あなたには、たくさんのことを知っている先生、つまり世界を見てきた先生が必要です」 

母親はしばらく考えてから、こう言いました。

「あなたを教えるのに太陽の神スーリヤ以外にふさわしい人はいないでしょう。彼は世界中を旅して、すべてを見ています。そうだわ、息子よ、彼のところに行って、あなたのグル(師)になってくれるようお願いしなさい」

風のように空を飛べる素晴らしい能力を持って生まれたハヌマーンは、空に向かってジャンプしました。そして、太陽の神スーリヤにたどり着き、こうお願いしました。

「偉大なるスーリヤよ、どうか私を弟子にしてください」

スーリヤはこう言って断ります。

「ハヌマーンよ、私は君の師になるにはあまりにも忙しい。 私は24時間世界を飛び回っているので、立ち止まってあなたに教える時間はありません」

「それでは、あなたが世界に暖かさ、光、そして元気を与えるために飛び回ることに、私もお供させてください」

スーリヤはそれでも断ります。

「私はとても熱く輝いているため、あなたは私のそばにいることはできないでしょう」

しかし、ハヌマーンは「偉大な知識を得るためには、多少の我慢は仕方がないことです」と答えあきらめませんでした。

スーリヤはこれ以上断ることはできず、ハヌマーンが決してあきらめないとわかりました。

その日以来、スーリヤはハヌマーンの師となりました。

このシンプルな物語は、より高度な知識を追求しようとするときのコミットメントと努力の重要性を教えてくれます。 毎日練習や勉強をするのは簡単なことではありません。 私たちは皆、他にやるべきことがあります。注意をそらすことには事欠きません。 しかし、コミットするという行為自体が私たちを変えるということを認識したらどうでしょうか。 そして、定期的に練習することで、まだ理解できない何かを得ることができるとしたらどうでしょう?

やってみませんか?1日10分、毎日、1ヶ月間。 そして、そこから先は…。

ぜひ、楽しんでチャレンジしてください。


How To Be With Your Practice

The monkey God, Hanuman, was a curious little boy.  Everyday he would tug on his mother’s clothes and ask:

 “Mama, mama, why is the sky blue?”

“Mama, mama, where do clouds come from?”

“Mama mama, where does the Sun go at night?”

“Oh, little Hanuman, you have so many questions. But I don’t have the answers.  You need a teacher who knows about so many things; a teacher who has seen the world!“

She thought for a moment and then said “aha, who better than Surya, the Sun, to teach you?! He travels the world and sees all! Yes, go to him my Son and ask him to be your Guru.”

So Hanuman, who was born with amazing powers to fly like the wind, jumped up into the sky to the Sun and begged “please, Oh great Surya, please take me as your disciple.”

Surya refused saying, “no Hanuman, I am far too busy to be your teacher.  I travel the world 24 hours a day. I have no time to stop and teach you.”

But Hanuman persisted. “You will not have to stop, I will fly with you as you go about your duties bringing warmth, light and life to the world.”

Surya again refused, this time saying “it is too hard. I am so hot and bright. You cannot handle being so close to me all of the time.”

Stil, Hanuman would not give up. “What is a little discomfort in the pursuit of great knowledge?

Surya was out of excuses and he knew Hanuman was up to the challenge. From that day onwards, Surya became Hanuman’s Guru.

This simple story teaches us the importance of commitment and effort when we try to pursue higher knowledge.  It’s not easy to practice or study everyday.  We all have other things to do. There is no shortage of distractions.  But what if we recognize that the act of committing itself changes us?  And what if we realize that by practicing regularly, we will gain something we cannot yet see? 

Why not try it? 10 minutes a day, everyday, for one month.  And then let’s go from there…
Enjoy the challenge! And enjoy the Sun!

【SEEDS of YOGA】

アフターコロナに向けての心構え


文責:N.O.

朝のオンラインヨガクラスでは、マニーシュが「今日の言葉」として様々なジャンルの有名人の名言をヨガ的解釈とともに紹介してくれるのが恒例となっている。

例えば先日紹介してくれた言葉。

No one loses anyone because no one owns anyone. That is the true experience of freedom: having the most important thing in the world without owning it.

これは『アルケミスト』で有名なブラジル人作家パオロ・コエーリョ(Paulo Coelho)の言葉だ。日本語にすると、

誰も誰かを失うことはできない。なぜなら誰も誰かを所有することはできないから。所有することなく世界で最も大切なものを持っているということ、それこそが真の自由というものだ。

マニーシュはこう続けた。「これはヨガの八支則でいうヤマ(禁戒=してはいけないこと)の一つアパリグラハのことだね。ひとつのことに執着しすぎると、そこから離れられなくなってどんどん視野が狭くなる。もっと広い新しい世界がそこにあるのにそれに気づけなくなる。」

アパリグラハとは(不貪=貪欲にならない)という意味で、そこから「執着しないこと、手放すこと、結果を期待しないこと」などと解釈される。ヨガの考え方では、モノに対してだけではなく、人間関係や環境や状況、考え方についても執着しすぎることはよくないとしている。固執してひとつのところにとどまり続けると、エネルギーが流れなくなりそこから先に進めなくなる。変化に対応できなくなっていくからだ。

これを今私たちが置かれた状況で考えてみる。

新型コロナウイルスの影響で私たちはビフォーコロナの生活から大きな変化を余儀なくされている。慣れ親しんだ生活やルーティンの急激なシフト。しかし自粛生活も2カ月を超えるとコロナ禍においてもそれなりに快適に過ごせるライフスタイルを確立しつつある。テレワークが当たり前になり、教育やソーシャルアクティビティのほとんどがオンラインで行われるようになった。これはアフターコロナになっても継続するであろうから、生活の選択肢は大きく広がったことになる。

さあこれからは緊急事態宣言が解除された後のアフターコロナのフェイズがやってくる。どんな変化が待っていようとポジティブに対応できるカラダとマインドでいられるよう日々の練習を大事にしていきたい。ビフォーコロナからアフターコロナへ、アパリグラハの精神で執着を捨て、その時その状況にあった本当に必要なものを見きわめてしなやかにライフを楽しむ余裕を持とう。それでこそヨギーだ。 (N.O.)

【SEEDS of YOGA】

独りと孤独

Being Alone vs Loneliness


文責:Ying

photo by マミ

緊急事態宣言で、在宅勤務も浸透し始め、独身の人は前にもまして、昼間も夜も独りで過ごす時間が増えているであろう。

「独り」という言葉を考えてみる。「おひとりさま」という言葉が流行ったように、その言葉には凛とした自立した大人の姿も想起させる。一方、似た言葉に「孤独」がある。広辞苑によると、①みなし子と老いて子なき者。②仲間のないこと、とある。

この似て非なる言葉。独りが好きな現代のわたしたちに、孤独が忍び寄るのはどんな時だろうか。半ば強制的に増える独りの時間が加速すればするほど、孤独の時間も増えるのだろうか。

わたしたちは往々にして孤独の扱い方を知らないように思う。こんな面白い調査がある。

NPRによると、知らない人とのちょっとした会話が私たちの幸せ度に影響するという。スタバでコーヒーを買う間の店員さんとの会話が、「sense of community」を生み、小さな喜びを石を積み上げ、ひいては1日の幸せな気持ちを形成するの、だと。(参考記事: Want To Feel Happier Today? Try Talking To A Stranger

「sense of community」は、コミュニティに属しているという感覚のこと。人と人が繋がっているという糸は、家族や親友という太い糸もあれば、知り合いという細い糸もある。太い糸は私たちの命綱になるかもしれないが、細い糸が織りなす布もまた私たちを包み込むものになってくれる。

どんなに環境が変わっても、私たち人間は社会的生き物であることは変わらない。

家で過ごすことが多くなった今、人と繋がるちょっとした会話が自然には発生しないからこそ、自分が会社の仲間、趣味グループや友人などのコミュニティと意図的につながりたい。

ZoomやLINE、家にいても人と人をつなぐ道具はそろっている。自分とまわりの人たちとの少しの会話が小さな幸せの貯金になる。孤独のない独り時間を過ごそう。

【SEEDS of YOGA】

コロナウィルスに負けないマインドフルネス/

Coronavirus and Being Mindful


文責:(E)Maneesh/(日)Ying

photo by マミ

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英語の「マインドフルネス(Mindfulness)」という言葉は、心がける、意識を傾けるという意味のマインドフル(mindful)の名詞だ。近年、瞑想などの文脈で語られる言葉だ。

しかし、コロナウィルスによっていま世界は、恐怖心や不安が心を満たしてしまっている「Mind-full-ness」の状態ではないだろうか。

自分のまわりでは、毎日どれだけ手を洗い、顔に触れないように意識したり、家族や友達が大丈夫であろうかと心配したりする日々が続いている。

知らない人とも距離をとるソーシャル・ディスタンシングが急激に浸透し、持病を持つ高齢者に気をかけたり、医療現場で働く医師や看護士に深い感謝の念を共有している。

絶え間ないニュースや専門家の見解や友達の心配の声にさらされ、自らの命を守るために、わたしたちの心は外の警戒信号に敏感に反応している。前代未聞のニュースにアラートレベルは上がり、明日の心配が増していく。マインド(Mind)は、不安と恐怖が満ちている(full)状態だ。

しかし、すこし立ち止まってみよう。外の情報に踊らされるのではなく、アンテナが張りつづけた状況では、心の平和は得られない。不安と恐怖に支配された心を抱えては、ゆたかには生きていけない。

意識を自分の内側に向け、心の平和(Shanti)を基にした本来のマインドフルネスに戻ろう。そして、この困難な時こそ、足を組み、目をつむり、とばりの向こうの静けさの中に身をおこう。


The word ‘mindfulness’ often conjures up images of people sitting cross-legged, eyes closed, melting into serene silence. But this virus has forced the whole world to be mindful all the time and in so many ways.

We are more mindful of ourselves – how we wash our hands, how often we touch our face, how we feel each day.

We are more mindful of friends and family – how they are surviving the anxiety, social isolation and lack of toilet paper

We are more mindful of strangers – social distancing, concern for the elderly and those with underlying medical issues, and an deep appreciation for healthcare workers and others on the front-line,

And we are more mindful of information and misinformation as we attempt to sift through the relentless onslaught of news, data, advice, and conspiracy theories.

However this kind of mindfulness is rooted in anxiety and fear. We are scared therefore we are mindful.

We need to take a well-deserved break from it all. We need mindfulness rooted in ‘shanti’ (peace). I suggest sitting cross-legged, closing your eyes, and melting into serene silence.