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自分だけなのではないかと思ったほどだ。私が目にする人たちは、しっかりと前を見つめて生きているように見えたし、素敵な笑顔を浮かべ楽しそうに話す友人を見た時に感じたこのわびしい気持ちは一体どこからやってきたのだろう。だって私には仕事も職場以外のコミュニティも、毎日無事を確認してくれる大切な仲間だっている。コロナの状況を考えると感謝するべき環境だ。

仕事は連日夜遅くまで続き、終わることはなく、寝る直前まで頭の中がTo Doリストでぐちゃぐちゃになっていた。テレワークのし過ぎで燃え尽きてしまったのだろうか。しかし友人と冗談を言って笑ったり、週末の楽しい計画を立てる気力だってちゃんとある。でもどこからともなくやってきた「やる気が出ず、時には何もすることができない状態」に苦しんでいないわけでもなかった。私大丈夫なのかな?

思い切って今、休暇を取ってみる?そんなわけにはいかないし、それは正しいこと?
今日のタスクやノルマをこなせなければ、どんな明日がやってくるのか容易に想像ができる。催促のメールや電話、分刻みでアラームがなるオンラインミーティング、テレワークの弊害とも言えるカメラがオフのままの上司や部下との面談、評価。これまでだってストレスの中でうまくやりこなしてきたはずなのに、今は対処ができないどころか些細な言葉や態度が気になって、孤独な気持ちが怒りにも似た感情に変わる事さえあった。自分のこの状態にぴったり当てはまる言葉が見つからなかった。コロナで病んでしまったのではないか、なんて周囲の人たちに誤解されたくなくて、無意識に言葉を選んでいたからだろうか。自然と口数も減り、表情だってきっと乏しかったはずだ。この活力のない私に誰か気がついて!という気持ちが心のどこかに潜んでいた。少し疲れているだけかな…?自分にそう言い聞かせ、長く暗いトンネルに迷い込んでしまったような気分とバトルしながらも、少し様子を見ることに決めた。

ある朝、処方箋でも探すかのようにネットサーフィンをしていると、ひとつの記事に辿り着いた。そこで見つけた「虚脱感」という言葉から目が離せなかった。何となくわびしくて、気持ちも身体も重だるい私の状態はまさにこれだ、と感じたからだ。

その記事によると「虚脱感」とは一種の沈滞と空虚であるそうだ。私はそこからすぐにでも脱出したくて毎日のようにネットでその方法を探ったが、それらの記事は私の不安をあおるだけだった。「ヘルシーな食生活を」「良質な睡眠を」「適度な運動を」「頑張りすぎないで」「駄目な自分でも大丈夫」「ひとりじゃないよ」…。一体どこの幸せな人がこんな記事を投稿しているのだろうか…。
 
しかし、私と似た症状で悩む友人や同僚もいて、集中力がなく、今までだったら見落とさないようなミスを何度かしてしまうのだ、とも言っていた。そう、ある意味で本当にひとりではなかったようだ。

パンデミックから1年以上経ってから私たちを襲ってきたこの脱力状態からきっと抜け出せる、と初めて思えたこの日、助けにも似たようなアドバイスを求めてみた。少し未来の楽しい計画、仕事のボリュームを適切にコントロール(割と勇気が必要だった!)する事がすぐに実行できる有効な治療法となりそうな予感がした。でも「虚脱感真っ最中」の状態でこのフローを見出すエネルギーは自分にあるのだろうか。

答えは「イエス」だ。脱力状態からこの不快な感覚に向き合う考えが一瞬でも浮かんだのだから。これはまさに「乳海撹拌」の時である。濁った海をかき回し、出てきたものをしっかり確認してみよう。さあ、スマートフォンから顔を上げ、真っ直ぐ前を見て、深呼吸してみよう。あなたに気がついている人は必ずいる。大丈夫なふりをしなくても大丈夫。(本文担当:AI)


<お知らせ>Maneesh Café 2021年7月のイベント
トピック:「私、大丈夫? 隠れたストレスに気づき、それに対処する方法を考えよう」
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