Posts In: ヨガ哲学

【SEEDS of YOGA】

アフターコロナに向けての心構え


文責:N.O.

朝のオンラインヨガクラスでは、マニーシュが「今日の言葉」として様々なジャンルの有名人の名言をヨガ的解釈とともに紹介してくれるのが恒例となっている。

例えば先日紹介してくれた言葉。

No one loses anyone because no one owns anyone. That is the true experience of freedom: having the most important thing in the world without owning it.

これは『アルケミスト』で有名なブラジル人作家パオロ・コエーリョ(Paulo Coelho)の言葉だ。日本語にすると、

誰も誰かを失うことはできない。なぜなら誰も誰かを所有することはできないから。所有することなく世界で最も大切なものを持っているということ、それこそが真の自由というものだ。

マニーシュはこう続けた。「これはヨガの八支則でいうヤマ(禁戒=してはいけないこと)の一つアパリグラハのことだね。ひとつのことに執着しすぎると、そこから離れられなくなってどんどん視野が狭くなる。もっと広い新しい世界がそこにあるのにそれに気づけなくなる。」

アパリグラハとは(不貪=貪欲にならない)という意味で、そこから「執着しないこと、手放すこと、結果を期待しないこと」などと解釈される。ヨガの考え方では、モノに対してだけではなく、人間関係や環境や状況、考え方についても執着しすぎることはよくないとしている。固執してひとつのところにとどまり続けると、エネルギーが流れなくなりそこから先に進めなくなる。変化に対応できなくなっていくからだ。

これを今私たちが置かれた状況で考えてみる。

新型コロナウイルスの影響で私たちはビフォーコロナの生活から大きな変化を余儀なくされている。慣れ親しんだ生活やルーティンの急激なシフト。しかし自粛生活も2カ月を超えるとコロナ禍においてもそれなりに快適に過ごせるライフスタイルを確立しつつある。テレワークが当たり前になり、教育やソーシャルアクティビティのほとんどがオンラインで行われるようになった。これはアフターコロナになっても継続するであろうから、生活の選択肢は大きく広がったことになる。

さあこれからは緊急事態宣言が解除された後のアフターコロナのフェイズがやってくる。どんな変化が待っていようとポジティブに対応できるカラダとマインドでいられるよう日々の練習を大事にしていきたい。ビフォーコロナからアフターコロナへ、アパリグラハの精神で執着を捨て、その時その状況にあった本当に必要なものを見きわめてしなやかにライフを楽しむ余裕を持とう。それでこそヨギーだ。 (N.O.)

【SEEDS of YOGA】

独りと孤独

Being Alone vs Loneliness


文責:Ying

photo by マミ

緊急事態宣言で、在宅勤務も浸透し始め、独身の人は前にもまして、昼間も夜も独りで過ごす時間が増えているであろう。

「独り」という言葉を考えてみる。「おひとりさま」という言葉が流行ったように、その言葉には凛とした自立した大人の姿も想起させる。一方、似た言葉に「孤独」がある。広辞苑によると、①みなし子と老いて子なき者。②仲間のないこと、とある。

この似て非なる言葉。独りが好きな現代のわたしたちに、孤独が忍び寄るのはどんな時だろうか。半ば強制的に増える独りの時間が加速すればするほど、孤独の時間も増えるのだろうか。

わたしたちは往々にして孤独の扱い方を知らないように思う。こんな面白い調査がある。

NPRによると、知らない人とのちょっとした会話が私たちの幸せ度に影響するという。スタバでコーヒーを買う間の店員さんとの会話が、「sense of community」を生み、小さな喜びを石を積み上げ、ひいては1日の幸せな気持ちを形成するの、だと。(参考記事: Want To Feel Happier Today? Try Talking To A Stranger

「sense of community」は、コミュニティに属しているという感覚のこと。人と人が繋がっているという糸は、家族や親友という太い糸もあれば、知り合いという細い糸もある。太い糸は私たちの命綱になるかもしれないが、細い糸が織りなす布もまた私たちを包み込むものになってくれる。

どんなに環境が変わっても、私たち人間は社会的生き物であることは変わらない。

家で過ごすことが多くなった今、人と繋がるちょっとした会話が自然には発生しないからこそ、自分が会社の仲間、趣味グループや友人などのコミュニティと意図的につながりたい。

ZoomやLINE、家にいても人と人をつなぐ道具はそろっている。自分とまわりの人たちとの少しの会話が小さな幸せの貯金になる。孤独のない独り時間を過ごそう。

【SEEDS of YOGA】

コロナウィルスに負けないマインドフルネス/

Coronavirus and Being Mindful


文責:(E)Maneesh/(日)Ying

photo by マミ

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英語の「マインドフルネス(Mindfulness)」という言葉は、心がける、意識を傾けるという意味のマインドフル(mindful)の名詞だ。近年、瞑想などの文脈で語られる言葉だ。

しかし、コロナウィルスによっていま世界は、恐怖心や不安が心を満たしてしまっている「Mind-full-ness」の状態ではないだろうか。

自分のまわりでは、毎日どれだけ手を洗い、顔に触れないように意識したり、家族や友達が大丈夫であろうかと心配したりする日々が続いている。

知らない人とも距離をとるソーシャル・ディスタンシングが急激に浸透し、持病を持つ高齢者に気をかけたり、医療現場で働く医師や看護士に深い感謝の念を共有している。

絶え間ないニュースや専門家の見解や友達の心配の声にさらされ、自らの命を守るために、わたしたちの心は外の警戒信号に敏感に反応している。前代未聞のニュースにアラートレベルは上がり、明日の心配が増していく。マインド(Mind)は、不安と恐怖が満ちている(full)状態だ。

しかし、すこし立ち止まってみよう。外の情報に踊らされるのではなく、アンテナが張りつづけた状況では、心の平和は得られない。不安と恐怖に支配された心を抱えては、ゆたかには生きていけない。

意識を自分の内側に向け、心の平和(Shanti)を基にした本来のマインドフルネスに戻ろう。そして、この困難な時こそ、足を組み、目をつむり、とばりの向こうの静けさの中に身をおこう。


The word ‘mindfulness’ often conjures up images of people sitting cross-legged, eyes closed, melting into serene silence. But this virus has forced the whole world to be mindful all the time and in so many ways.

We are more mindful of ourselves – how we wash our hands, how often we touch our face, how we feel each day.

We are more mindful of friends and family – how they are surviving the anxiety, social isolation and lack of toilet paper

We are more mindful of strangers – social distancing, concern for the elderly and those with underlying medical issues, and an deep appreciation for healthcare workers and others on the front-line,

And we are more mindful of information and misinformation as we attempt to sift through the relentless onslaught of news, data, advice, and conspiracy theories.

However this kind of mindfulness is rooted in anxiety and fear. We are scared therefore we are mindful.

We need to take a well-deserved break from it all. We need mindfulness rooted in ‘shanti’ (peace). I suggest sitting cross-legged, closing your eyes, and melting into serene silence.