Posts In: SEEDS of YOGA(ヨガ哲学)


現代人の夏バテは「温度差」が原因だった?
夏になると「食欲が減退する」「体がだるい」「疲れがとれない」「眠れない」などの夏バテ症状に悩まされる人が少なくありません。夏バテの原因はさまざま。夏の暑さに身体が慣れていない場合や、発汗で体内のミネラルや水分が失われて体力を低下している場合などもありますが、日本で暮らす現代人がとくに気をつけるべき要因は“温度差”です。

私たちは1日にめまぐるしく温度差を体感します。例えば、家から駅まで暑い中を歩いて、冷房の効いた電車に乗る。電車から降りたらオフィスまで汗をかきながら歩いて、涼しいオフィスに到着、と温度環境がコロコロ変わります。そのたびに自律神経が混乱し、体力を余計に奪われているのです。

腕など露出している肌を触ってひんやり冷たい感触があるなら、身体が冷えている証拠。夏でも、ブランケットやストール、長袖の上着などをオフィスやバッグに常備しておきましょう。一枚羽織るだけでも、外との温度差が縮まり、冷えから身体を守ることができます。

日本は四季があるので、季節が変わるごとに身体をうまく適応させることが健康維持で不可欠です。無理なく適応するには、服装や室内環境などの工夫をして、気温の変化に少しずつ慣らしていくことが大切です。

日本には『三寒四温』という言葉がありますね。冬が終わり、暖かい日が続いたと思ったら、また寒さが戻ってくる。そんなことを繰り返しながら、ようやく春が訪れます。季節の変わり目は、これからやってくる季節に身体を慣らしていくための助走期間。少しの暑さなら冷房をつけないで、無理のない範囲でガマンすることも身体には必要で、それが本格的な夏の到来に向けての身体づくりの第一歩になるのです。

日本ではリラクゼーションなどのイメージが強いかもしれませんが、インドではアーユルヴェーダは医学的な要素が強くアーユルヴェーダの大学や病院も多くあります。アーユルヴェーダ医学の特徴は、その人の体質や体調、年齢に合わせて、食事、薬草、ヨガなど生活全般にわたる処方を出すこと。なるべく薬に頼らずハーブなどを用い、生活習慣や身体を整えることで病気を予防する医学です。

アーユルヴェーダでは、人間は「ヴァータ(風)」「ピッタ(火)」「カパ(水)」の3つ体質(ドーシャ)から成り立ち、生まれ持った資質、年齢、生活習慣などでドーシャが変わってきます。

誰しも3つのドーシャの要素は持っており、1つがメインで、1つのサブがあります。また年齢ごとにバランスが変化し、子どもから青年期はみずみずしいカパが強く、成人してからは火のエネルギーであるピッタ、年齢を重ねると風のヴァータが強まって乾燥傾向が強まります。本来はアーユルヴェーダの医師が診断しますが、下記に挙げたそれぞれのドーシャの外見的特徴や性格、身体の傾向を参考にしてご自身に当てはまるものがあるか確かめてみてください。

「インド出身のアーユルヴェーダの権威であるDr.Vasant Lad(サント・ラッド博士)が“Ice water is poison to the system, and hot water is nectar” と言うように、アーユルヴェーダでは冷たい水は身体に毒で、温かい水は神の飲み物という考えがあります。

冷たい飲み物は胃を冷やします。胃が冷えると消化酵素の働きが落ち、消化不良や食欲不振につながります。さらに、冷えた胃を温めるためにエネルギーを浪費するので、体力が奪われてだるさや疲労感につながります。インドでは暑い日もチャイという熱いお茶を飲みますが、胃腸を温めて食欲や消化を増進させる夏バテ解消の効果があります。

体を冷やすなら、水分の多い夏の野菜や果物がおすすめです。ビタミンやミネラルなどの栄養素も同時に補給できるから体力増強にもつながります。日本ならば、キュウリ、スイカ、ナシ、モモなどの旬の農作物。飲み物なら、ミネラルの含まれた麦茶もよいでしょう。

とくに暑さが厳しく疲労困憊した日は、風邪を引いたときや体調が悪いときの食事が参考になります。揚げ物はピッタ(火)を上げる食べ物なので、夏のピッタ(火)の時期には摂り過ぎると身体に負担をかけてしまいます。アーユルヴェーダでは “Like increases like, opposites balance”(同質は助長させ、異質は調和する)といわれ、同じドーシャを重ねるとそのドーシャを強めてしまうため、反対の要素を取り入れることでバランスがとれると考えられています。

そして、どの体質の人も特に暑い日には胃にやさしい食べ物で体力を消耗させないことが大切です。塩分がとれて栄養バランスのいい旬の野菜をたっぷりと入れたお味噌汁は、夏バテ予防にとてもいいと思います

アーユルヴェーダが教える、暑さを和らげる呼吸法

自分の体質を自覚し、体調や気候の変化に合わせてコントロールする。そのためには、自分の身体の声に敏感である必要がありますが、私たちは元来、その“気づく力”が備わっています。内側に意識を向ける習慣をつけることで、“気づく力”がぐんと上がり、身体が求める食べ物や生活習慣がわかるようになります。そのために編み出されたのがヨガです。ヨガとは、自分の心や身体の気づきを高めるシステムなのです。

夏に最適なヨガの呼吸法として「シータリー」があります。

シータリーとは『熱を冷ます』という意味で、この呼吸をするだけで暑さが和らぎます。身体を内側から冷やし、血液を浄化して、心を落ち着かせて集中力を高めることができます。シータリーを5分ずつ毎日続けることで、呼吸が深くなり、自律神経が整い、夏に強い身体がつくれます

〈シータリーの呼吸法〉※

呼吸法をする際は空腹が望ましく、口から空気を取り入れるのできれいな空気で行うのがおすすめです

1 舌を少しだけ唇から出して、舌をタテに丸める

2 舌を通すようにして息を吸う

3 鼻から息を吐いて、出しきる

4 1〜3を繰り返し行う

できない方は他の方法もあります
 

シータリーの呼吸法の主な効果

・夏のピッタ(火)の要素を下げる

・体の熱を取る

・消化を助ける

・心を落ち着かせる

・免疫力を上げる

・のどの渇きを抑える

※ヨガにおける呼吸法は本来、専門の知識を持った指導者から直接指導されるものです。ご自身の体調に合わせ、必要に応じて医師のアドバイスを受けましょう。(特に低血圧、呼吸器に疾患がある方)無理はせず、呼吸が苦しくなったらすぐに自然な呼吸に戻してください。

大切なのは、内面に意識を向ける努力を毎日少しずつ続けること。そうすると、自分の中心が見つかるので、日々の些細な変化に気づく力が高まります。中心が整うことで、外の環境に左右されることなく、いつでも最適な自分でいることができるのです。ぜひアーユルヴェーダの知恵を活用して自己調整力を高め、元気に夏を乗り切りましょう。

(マニーシュ監修のフィリップスブログ記事より)


自分だけなのではないかと思ったほどだ。私が目にする人たちは、しっかりと前を見つめて生きているように見えたし、素敵な笑顔を浮かべ楽しそうに話す友人を見た時に感じたこのわびしい気持ちは一体どこからやってきたのだろう。だって私には仕事も職場以外のコミュニティも、毎日無事を確認してくれる大切な仲間だっている。コロナの状況を考えると感謝するべき環境だ。

仕事は連日夜遅くまで続き、終わることはなく、寝る直前まで頭の中がTo Doリストでぐちゃぐちゃになっていた。テレワークのし過ぎで燃え尽きてしまったのだろうか。しかし友人と冗談を言って笑ったり、週末の楽しい計画を立てる気力だってちゃんとある。でもどこからともなくやってきた「やる気が出ず、時には何もすることができない状態」に苦しんでいないわけでもなかった。私大丈夫なのかな?

思い切って今、休暇を取ってみる?そんなわけにはいかないし、それは正しいこと?
今日のタスクやノルマをこなせなければ、どんな明日がやってくるのか容易に想像ができる。催促のメールや電話、分刻みでアラームがなるオンラインミーティング、テレワークの弊害とも言えるカメラがオフのままの上司や部下との面談、評価。これまでだってストレスの中でうまくやりこなしてきたはずなのに、今は対処ができないどころか些細な言葉や態度が気になって、孤独な気持ちが怒りにも似た感情に変わる事さえあった。自分のこの状態にぴったり当てはまる言葉が見つからなかった。コロナで病んでしまったのではないか、なんて周囲の人たちに誤解されたくなくて、無意識に言葉を選んでいたからだろうか。自然と口数も減り、表情だってきっと乏しかったはずだ。この活力のない私に誰か気がついて!という気持ちが心のどこかに潜んでいた。少し疲れているだけかな…?自分にそう言い聞かせ、長く暗いトンネルに迷い込んでしまったような気分とバトルしながらも、少し様子を見ることに決めた。

ある朝、処方箋でも探すかのようにネットサーフィンをしていると、ひとつの記事に辿り着いた。そこで見つけた「虚脱感」という言葉から目が離せなかった。何となくわびしくて、気持ちも身体も重だるい私の状態はまさにこれだ、と感じたからだ。

その記事によると「虚脱感」とは一種の沈滞と空虚であるそうだ。私はそこからすぐにでも脱出したくて毎日のようにネットでその方法を探ったが、それらの記事は私の不安をあおるだけだった。「ヘルシーな食生活を」「良質な睡眠を」「適度な運動を」「頑張りすぎないで」「駄目な自分でも大丈夫」「ひとりじゃないよ」…。一体どこの幸せな人がこんな記事を投稿しているのだろうか…。
 
しかし、私と似た症状で悩む友人や同僚もいて、集中力がなく、今までだったら見落とさないようなミスを何度かしてしまうのだ、とも言っていた。そう、ある意味で本当にひとりではなかったようだ。

パンデミックから1年以上経ってから私たちを襲ってきたこの脱力状態からきっと抜け出せる、と初めて思えたこの日、助けにも似たようなアドバイスを求めてみた。少し未来の楽しい計画、仕事のボリュームを適切にコントロール(割と勇気が必要だった!)する事がすぐに実行できる有効な治療法となりそうな予感がした。でも「虚脱感真っ最中」の状態でこのフローを見出すエネルギーは自分にあるのだろうか。

答えは「イエス」だ。脱力状態からこの不快な感覚に向き合う考えが一瞬でも浮かんだのだから。これはまさに「乳海撹拌」の時である。濁った海をかき回し、出てきたものをしっかり確認してみよう。さあ、スマートフォンから顔を上げ、真っ直ぐ前を見て、深呼吸してみよう。あなたに気がついている人は必ずいる。大丈夫なふりをしなくても大丈夫。(本文担当:AI)


<お知らせ>Maneesh Café 2021年7月のイベント
トピック:「私、大丈夫? 隠れたストレスに気づき、それに対処する方法を考えよう」
日時:2021年7月16日(金)19:00〜19:45
場所:ズーム
料金:1500円

Why Teacher Trainings are Killing Yoga


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私は、カナダの多くの少年たちと同様にアイスホッケーと共に育ちました。始めたのは4歳の時。最初の数年間は、アイスホッケーは趣味であり、友達を作ったり、ちょっとした楽しみのためのものでした。 しかし、11か12歳になった頃には、それ以上の存在になっていました。 

アイスホッケーに夢中になったのです。 

9月から3月までのオンシーズンでは、毎日のように屋外の近所のリンクで仲の良いチームメイトと一緒に活動していました。 毎日放課後に2、3時間、週末や休日には日没後まで一日中過ごし、心配した両親が私たちを探しに来るほどでした(照明設備があってよかった!)。 さらに、毎週行われる2〜3回のチームの公式練習と1回の試合、週末に行われる町外でのトーナメント、さらに年に1度のマイナーホッケーウィークイベントで試合を行っていました。

オフシーズンには、体力を保つためにボールホッケーやラクロスやサッカーをする人もいれば、技術を磨くためにサマーホッケーキャンプに参加する人も多くいました。BC州のオカナガンで行われた夏のパワースケートキャンプでは、元NHL選手たちに足がやけどするほどスケートをさせられたことを今でも鮮明に思い出されます。

ホッケーは私たちにとって情熱であり、生活の一部でした。

プレイやトレーニングをしていないときは、NHLのプロの試合を見て、復習し分析していました。NHLのカードを集め、統計データを覚えていました。本を読み、功績を残した人たちのインタビューを見たりしていました。

私はホッケーに生き、息づいていたのです。 

卓越した才能があった友人の数人はNHLでプロとして活躍しましたが、ほとんどの仲間は18歳で競技ホッケーから引退しました。 その後、少年ホッケーのコーチをする友人もいるなか、私は大阪で高校チームのコーチをパートタイムで手伝いました。 

ホッケーをコーチしたり教えたりするのに「コーチ・トレーニング」を受けることはありませんでした。 コーチ・トレーニングは、数は少ないですが(今はもっと多いようです)公の場での話し方や選手のモチベーションの上げ方などコーチとしてのスキルを磨くためのもので、ホッケーのプレイや“生きる”ことを教えるものでもありません。

私たちはアイスホッケーを愛していました。アイスホッケーを生きていました。 私たちがアイスホッケーをプレイしたのは、いつか教師やコーチになりたいと思ったからではありません。 私たちがアイスホッケーをしていたのは、それが生き方であり、情熱だったからなのです。 やがて、その情熱を他の人たちにシェアするようになった人たちもいます。

そして、ヨガを教えること、そしてヨガのティーチャートレーニング(TT)について考えてみましょう。ヨガのティーチャートレーニングは誰かに合っているのか、ヨガのティーチャートレーニングで何を探求するべきなのかという質問をたくさん受けます。 私の答えは決まって「なぜ」から始まります。 

6週間、200時間のピアノ教師養成講座を受けて、ピアノを教えるようになった人のことは聞いたことがありません。 バレエの先生や茶道の先生でもそういった人はいないでしょう。 私のドラムの先生は長年スネアドラムを叩いたり、ベースドラムのキックの練習してから教えるようになりました。確認したところ、彼はドラムのティーチャートレーニングは受けていないそうです。

きっと例外もあると思います。 長い時間をかけた取り組みや継続的な練習、深い情熱がなくても教えられることはあるかもしれません。 しかし、「ヨガ」がそれに当てはまるカテゴリーでしょうか?

私はヨガのティーチャートレーニングを非難しているわけでは決してありません。特定のヨガで行う「アーサナ」のポーズのように、これらのトレーニングは素晴らしいツールとなる可能性を秘めています。 通常のヨガクラスではできないようなコンセプトをより深く追求することができます。 哲学、マントラ、その他、過去の偉大なヨギが大切にしていたもので現代のヨガではほとんど教えられていない多数のテクニックなど、知らなかった思想やヨガの異なる側面に触れることができます。 そして参加者は、さらに練習して、ヨガの教えに沿った人生を送りたいと思うようになります。

また、子供の頃にヨガを始めていない人は、教えるべきではないと言っているわけではありません。 私たちは皆、自分が知っていること、経験したこと、吸収したことを共有することができます。 そして、人生は私たちに、よりよい教師になるための多くの経験を与えてくれます。問題は数時間や数週間という短い期間で、必要な知識や経験、吸収したものを補うことができると信じてしまうことが間違いではないかということです。

ヨガのティーチャートレーニングの役割はあるかもしれません。いえ、役割があるはずです。しかし、トレーニングを提供するスクールや指導者、そして参加者には、このティーチャートレーニングというツールが適切に提供され、使用されるようにする義務があります。 ティーチャートレーニングは、練習、人生経験、自己発見、探究、情熱、好奇心、研究、試行錯誤、分析、実験、見直し、反省、内省に取って代わるものではありません。

私たちは練習する必要があります。生きることが必要です。そして私たちが実践する(そして生きる)すべてのことの延長線上に「シェアする」ことがあるのです。


<お知らせ>
マニーシュによるトレーニングプログラム「 Student Teacher Training Course (略称:STTC)」Level 2が2021年6月にオンラインで開講します。観る目を養い、内なる指導者を育てるプログラム。他の人や自分自身を正しく見ることが真実を理解することにつながります。その目を育てていきましょう。


Why Teacher Trainings are Killing Yoga 

Like so many other young boys in Canada, I grew up playing ice hockey. I started at the age of four. For the first several years, ice hockey was a hobby, a way to make friends and to have a bit of fun; however by the time I hit 11 or 12 years old, it became much more than that.  

I became consumed by the sport.  

In the on-season (Sept to March), on any given day, you could find me at the outdoor community rink with my closest teammates.  A couple of hours everyday after school and, on weekends and holidays, from day break until well after the sun went down and our worried parents came searching for us (thank God for flood lights!).  This was besides the two or three official team practices and one game we had most weeks, out-of-town weekend tournaments and the annual minor hockey week event.

In the off-season, most of us kept fit by playing ball hockey, lacrosse or soccer and many of us would take summer hockey camps to sharpen up our skills. I have vivid recollections of our summer power skating camps in the Okanagan, B.C. where ex-NHLers would make us skate until we learned to love the burn in our legs.

Hockey was a passion and a way of life for us. 

When we were not playing or training, we were watching, reviewing and analyzing pro NHL games. We collected NHL cards and memorized statistics. We read books and watched interviews with some of the greats.

We lived and breathed hockey.  

While a few very talented friends went on to play professionally, like most, I retired from competitive hockey at 18.  At later stages in life, some friends went on to coach minor hockey.  I came to Osaka and helped coach a local high school team part-time.  

For us coaches, we didn’t have ‘ice hockey coach trainings’.  And the very few that existed (there seem to be many more today), were there to refine your skills as a coach – how to speak publicly, motivate players, etc. – not to teach you how to play or ‘live’ hockey. 

We loved ice hockey. We lived ice hockey.  We played not because we wanted to teach or coach some day.  We played because it was a way of life and a passion.  A passion some of us eventually went on to share with others.

That brings me to teaching yoga and to yoga teacher trainings (TT). I get a lot of questions about whether a yoga TT is right for someone or what to look for in a yoga TT.  My response invariably begins with: “Why?”

I haven’t heard of anyone who took a 6-week, 200-hour piano TT and then went on to teach piano.  I don’t know of a ballet teacher or a tea ceremony who has done this either.  I know for a fact that my drum teacher has been snapping that snare and kicking that bass drum for decades longer than he has been teaching. And I checked – he has never taken a ‘Drum TT’. 

I am sure there are exceptions out there.  There may be things that can be taught without a long-time commitment, continued practice or deep passion for it.  But is that the category we want our ‘yoga’ to fit into?

I am in no way bashing yoga TTs. Like the asana (poses) we learn and practice, these trainings have the potential to be great tools.  Students can go deeper into concepts that they otherwise would not be able to in a typical yoga class.  They can be exposed to new ideas and different facets of yoga such as philosophy, mantra or the other multitude of techniques the ancient yogis emphasized but that are rarely taught in modern yoga.  And participants can be inspired to practice more and live a life imbued with the spirit of yoga.

I am also in no way suggesting that if you didn’t start yoga as a child that you shouldn’t be teaching.  We can all share what we know and have experienced and assimilated.  And life has given us so many experiences that make us better teachers. The question is whether we are making the mistake of believing that yoga TTs can, in a short few hours or weeks, make up for that necessary knowledge, experience and assimilation.

So, there may be a place for yoga TTs. In fact, I am sure there is. But it is incumbent upon the schools and teachers offering these trainings and upon the participants taking them to make sure this tool is used properly.  

TTs cannot replace practice, life experience, self-discovery, exploration, passion, curiosity, inquiry, trial and error, analysis, experimentation, review, reflection and introspection. 

We need to do these things.  We need to practice.  We need to live. And perhaps, as an extension of all that we practice (and live), we share.

My Yoga Tetsugaku (Philosophy)

The Paradoxes of Yoga & Asking the Right Questions


*Scroll down for English

ヨガがポーズだけではないことをよく知っています。ヨガは肉体的なものだけでなく、精神的な修行であることも知っています。形は中身の代わりにはならないことも知っています。

しかし、これは本当はどういうことなのでしょうか? どうやって練習すればいいのでしょうか?  そして、それをどのように共有し、教えるのでしょうか?

ヨガの先生として、ヨガの実践者として、これらは私たち自身に問いかけなければならないことです。

考えてみると、ヨガは多くの興味深いパラドックスを提示してくれています:

  • 身体的な「アーサナ」を練習すること。しかしながら、アーサナが目的ではないこと。
  • 「ヤマ」(コントロール)や抑制を実践すること。しかしながら、自由になり、’mukti'(ムクティ)と’moksha'(モクシャ)を見つけること。
  • “atha yoga anushasanam” (アタ ヨガ アヌシャサナム)と呼ばれるように、真面目に取り組むこと。しかしながら、楽しみ、喜びと ‘ananda’(アナンダ)の至福を感じること。

それだけではなく。。。まだあります!

ヨガでは、私たちは一人一人ユニークであり、より大きな知識や‘samadhi’(サマディ)と呼ばれる悟りの境地に至る独自の道があると教えています。 では、なぜこれほど多くの人が同じ練習をしているのでしょうか? 

私は修行者です。私は指導者です。しかし、私は実際にはこの役割ではないことを知っています。ヨガの文献がそう教えてくれています。

しかし、それはどのように感じられるでしょうか?そして、それは現実の世界や私の人生ではどのように表現するでしょうか?

まだこのような質問をしたことがないのであれば、今がその時です。 

さあ、旅に出ましょう。


My Yoga Tetsugaku (Philosophy)

The Paradoxes of Yoga & Asking the Right Questions

We all know that yoga is not about poses. We know that it is a mental practice not just something physical. We know that form is not a substitute for substance.

But what does this really mean?  How do we practice this?   And how do we share and teach this?

As yoga teachers and as yoga practitioners, these are questions we need to ask ourselves.

Come to think about it, yoga presents us with so many interesting paradoxes:

  • Practice physical ‘asana’ but it’s not about asana!
  • Practice ‘yama’ control but become free, find ‘mukti’ and ‘moksha’
  • Be serious and committed – “atha yoga anushasanam” – but have fun, feel joy and ‘ananda’ bliss

But wait, there’s more!

Yoga also tells us that each of us are unique and have our own path to some state of greater knowing or ‘samadhi’ enlightenment.  Then why are so many of us doing the same practice?  Or are we?

I am a practitioner. I am a teacher.  But really, I know that I am not these roles.  All the texts have taught me this. 

But what does that feel like? And what does that look like in the real world and in my life?

It’s time to ask these questions if you haven’t yet.  

Let’s journey!

How To Be With Your Practice


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練習との向き合い方

猿の神様であるハヌマーンは好奇心旺盛な少年でした。 毎日のように母親の服を引っ張っては尋ねていました。

 「ママ、ママ、どうして空は青いの?」

「ママ、ママ、雲はどこから来るの?」

「ママ、ママ、お日さまは夜どこに行くの?」

「ああ、小さなハヌマーン、あなたはとても多くの疑問を持っています。でも、私は全てに答えることはできません。 あなたには、たくさんのことを知っている先生、つまり世界を見てきた先生が必要です」 

母親はしばらく考えてから、こう言いました。

「あなたを教えるのに太陽の神スーリヤ以外にふさわしい人はいないでしょう。彼は世界中を旅して、すべてを見ています。そうだわ、息子よ、彼のところに行って、あなたのグル(師)になってくれるようお願いしなさい」

風のように空を飛べる素晴らしい能力を持って生まれたハヌマーンは、空に向かってジャンプしました。そして、太陽の神スーリヤにたどり着き、こうお願いしました。

「偉大なるスーリヤよ、どうか私を弟子にしてください」

スーリヤはこう言って断ります。

「ハヌマーンよ、私は君の師になるにはあまりにも忙しい。 私は24時間世界を飛び回っているので、立ち止まってあなたに教える時間はありません」

「それでは、あなたが世界に暖かさ、光、そして元気を与えるために飛び回ることに、私もお供させてください」

スーリヤはそれでも断ります。

「私はとても熱く輝いているため、あなたは私のそばにいることはできないでしょう」

しかし、ハヌマーンは「偉大な知識を得るためには、多少の我慢は仕方がないことです」と答えあきらめませんでした。

スーリヤはこれ以上断ることはできず、ハヌマーンが決してあきらめないとわかりました。

その日以来、スーリヤはハヌマーンの師となりました。

このシンプルな物語は、より高度な知識を追求しようとするときのコミットメントと努力の重要性を教えてくれます。 毎日練習や勉強をするのは簡単なことではありません。 私たちは皆、他にやるべきことがあります。注意をそらすことには事欠きません。 しかし、コミットするという行為自体が私たちを変えるということを認識したらどうでしょうか。 そして、定期的に練習することで、まだ理解できない何かを得ることができるとしたらどうでしょう?

やってみませんか?1日10分、毎日、1ヶ月間。 そして、そこから先は…。

ぜひ、楽しんでチャレンジしてください。


How To Be With Your Practice

The monkey God, Hanuman, was a curious little boy.  Everyday he would tug on his mother’s clothes and ask:

 “Mama, mama, why is the sky blue?”

“Mama, mama, where do clouds come from?”

“Mama mama, where does the Sun go at night?”

“Oh, little Hanuman, you have so many questions. But I don’t have the answers.  You need a teacher who knows about so many things; a teacher who has seen the world!“

She thought for a moment and then said “aha, who better than Surya, the Sun, to teach you?! He travels the world and sees all! Yes, go to him my Son and ask him to be your Guru.”

So Hanuman, who was born with amazing powers to fly like the wind, jumped up into the sky to the Sun and begged “please, Oh great Surya, please take me as your disciple.”

Surya refused saying, “no Hanuman, I am far too busy to be your teacher.  I travel the world 24 hours a day. I have no time to stop and teach you.”

But Hanuman persisted. “You will not have to stop, I will fly with you as you go about your duties bringing warmth, light and life to the world.”

Surya again refused, this time saying “it is too hard. I am so hot and bright. You cannot handle being so close to me all of the time.”

Stil, Hanuman would not give up. “What is a little discomfort in the pursuit of great knowledge?

Surya was out of excuses and he knew Hanuman was up to the challenge. From that day onwards, Surya became Hanuman’s Guru.

This simple story teaches us the importance of commitment and effort when we try to pursue higher knowledge.  It’s not easy to practice or study everyday.  We all have other things to do. There is no shortage of distractions.  But what if we recognize that the act of committing itself changes us?  And what if we realize that by practicing regularly, we will gain something we cannot yet see? 

Why not try it? 10 minutes a day, everyday, for one month.  And then let’s go from there…
Enjoy the challenge! And enjoy the Sun!

What if Tomorrow Doesn’t Come?  

3/11/2021


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ちょうど10年前の今日、私たちは永遠に脳裏に焼き付けられる3重の災害を経験しました。

私はあの日のその時間、高級店が立ち並ぶ東京の表参道での打ち合わせの後、通りに降りてきたところでした。その瞬間が来たときは、路上で同僚と話していました。すべてが止まったように見え、背景に聞こえる音が未知の世界に溶け込み、何か得体の知れないものが起こるのではないかという嫌な予感に襲われました。

建物は、まるで根こそぎに倒されそうな木のようにギシギシと音をたてはじめ、高級店の鏡張りの壁が割れて飛び散るのではないかと思うほど激しく揺れ始めました。そして、その時に聞いた周囲の恐怖の叫び声と人々がショックと信じられない気持ちで地面に座り込む様子がよみがえってきます。

私は自転車に飛び乗って、急いで家に帰りました。テレビでは、津波が押し寄せ、田んぼや町を飲み込んでいく様子が生中継されていました。私は、テレビに映っている車に向かって、「もっと早く走れ!」「津波の進路を避けろ!」と叫んでいました。 そして、テレビの中の歩行者にも大声で「逃げろ」「高台に行け」と叫んでいました。しかし、私の声が届くことはありませんでした。これがテレビ番組やビデオゲームではなく、目の前で起こっている現実であることが信じられませんでした。

幸運にもたまたま震源地から遠く離れて、その地域に親しい友人や家族がいない人にとって、時とともに記憶が薄れていきがちです。3月11日という日は、この出来事を思い出す1年で唯一の時間かもしれません。

しかし、友人や家族を失った人々にとって、それは別の話です。彼らにとって3.11は、愛する人の明日が来なかった日です。

では、もし明日が来なかったら? 私たちは今日という日を、その日にふさわしい活力と感謝の気持ちを持って過ごしているでしょうか?そして、私たちは、するべきことをして、大切な人々に、価値ある存在感と熱意をもって語りかけているでしょうか?

3.11のような悲劇の記念日は、憂鬱な歴史上の出来事として思い出される必要はありません。この日は、私たちに与えられたこの瞬間、この人生がいかに貴重なものであるかを思い出させてくれるものです。

だからこそ、今日という日を元気に、楽しく、目的を持って過ごしましょう。そして、この力強いメッセージを忘れないようにしましょう。

3月11日に犠牲になられた方々を偲んで

2021年3月11日 Maneesh


What if Tomorrow Doesn’t Come?  

3/11/2021

It was exactly ten years ago today that we experienced the three-fold disaster that will be burned in our communal memories forever.  

I had just come down onto the street after a meeting in the high-end Omotesando area of Tokyo.  I was speaking to a colleague when that moment came. The one where everything seems to stop, background noises dissolve into the unknown and you are overcome with a gut-wrenching feeling that something ungodly is about to happen.

Buildings started to make that creaking sound as if they were trees about to be uprooted. The mirrored walls lining the luxury stores started to shake so violently I thought they would tear and fly off into the distance.  And I can still hear the screams of terror and people all around me dropping to the ground in shock and disbelief. 

I jumped on my bicycle and sped home as quickly as possible. The television was airing live coverage of the tsunami rushing in, engulfing rice fields and towns. I caught myself yelling at the cars on the TV to go faster and steer clear of the path of the tsunami.  And then I’d yell at the pedestrians on the TV as well, pleading with them to run and get to higher ground. But to no avail. It was hard to comprehend that this was not some TV show or a video game but rather people in real time, dying in front of my eyes.

For those of us who were lucky enough to be far away from the epicenter and who do not have close friends or family in that area, it is all too easy to forget. These anniversary reminders, if we even catch them, are probably the only time in the year we recall that day.  

But for those who lost friends and family, it is another story. For them 3/11 is the day that tomorrow didn’t come for someone they loved.

So what if tomorrow doesn’t come?  Are we spending today with the vigor and the appreciation that today deserves? And are we doing the things we do and speaking to the people we care about with a presence and enthusiasm we deem worthy?

Anniversaries of tragedies such as 3/11 need not be morbid recollections of historic events. They can serve as reminders of how precious this moment and this life we’ve been given are. 

So go out there and spend the day with vigor and joy and purpose! And let us not forget this powerful message.

In memory of those who passed on 3/11

Don’t Study Yoga Philosophy!


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生徒さんや友人から、「ヨガ哲学を学んだほうがいいですか?」とよく聞かれます。ほとんどの場合、私は「なぜ?」とこたえます。

では、ヨガの2つの主な要素である実践と哲学について考えてみましょう。

言い伝えられている偉大な伝統において、実践の考え方について、自分がその道を歩かなければならないと言っています。確かに、師から良いヒントやガイドをもらうことはあっても、師が自分の代わりをすることはできません。アーノルド・シュワルツェネッガーの言葉で、彼がトレーニングする様子を見るだけでは誰も筋肉がつかないと言っていたのと同じです。

多くの人は実践の必要性を理解しています。そして疑問が生じます。何を実践する?練習方法は?そして最も重要なこと、なぜ練習する?これは、ヨガ哲学が伝えているところでもあります。

ヨガ哲学は最大の疑問に注目しています:なぜヨガをするのか?目的は何?ヴェーダ、ウパニシャッド、ヨギが拠りどころにしているパタンジャリヨガスートラやバガヴァッドギーターのような古代の文献はすべて、独自の方法でその「理由」を伝えてくれています。これらと他の文献の山は、古代と現代を問わず「何を実践するか」と「どのように実践するか」を掘り下げているのです。

ヨガの哲学には、ラーマーヤナなどの記憶に残る物語、激怒したシヴァの髪の毛から作られた戦士であるビラバドラーやサムドラマンタン(乳海攪拌)の物語など、さまざまなPuranas(古代のテキスト)からの鮮やかなエピソードも満載です。これらの物語のモラルとメッセージ、そして私たちが実践しているポーズと同名の印象深いキャラクターは、素晴らしいインスピレーションの源となるでしょう。そして、興味深い(そして楽しい?!)練習は、繰り返し続けられるサステイナブルなものです!

実践と哲学は、片方の手でもう一方の手を洗うようなものです。片手で洗ってみたことがありますか?

それでは今回のタイトルである「ヨガ哲学は勉強するものではない」について考えてみましょう。

多くの人々は、非暴力という意味のサンスクリット語を学んだり、sutrasやmahavakyas(壮大な声明)やサマーディ(悟り)までの段階を暗記しようとするという点で「研究」しています。しかし、ここで忘れてはいけないのは、その目的です。もしあなたが学者になりたいのなら、ぜひこのまま先に進んで「研究」を続けてください。

しかし、あなたが練習の手を洗うもう片方の手を探しているなら、私たちはヨガの哲学を「生きる」必要があります。言葉を学んだり、概念を覚えることが目的ではありません。

探求するとき、疑問や目的の本質を十分に理解せず、答えを探すことに急いでしまいがちです。

本来、探求は次のようなプロセスで進むべきものです:

疑問・目的 → 調査・実践 → 回答 → レビューと次の疑問・目的 → そしてプロセスが続いていきます…

しかし哲学を学ぶことに片寄ると以下のようなパターンに陥りがちです。

(うーん、これは良いロールシャッハテストのようですね-画像から何を読み取りますか?)

我々は多くのテクニック、クラス、ワークショップ、ティーチャートレーニング、本を買い、たくさんの本を読んで、そして、読んで勉強したほとんどすべてを忘れて走り回っています…そして…ふりだしに戻ってしまいます。

哲学を学び、それを自分自身の生活で「実践」することで探求のプロセスが循環するようになります。

古代の人が我々に伝えようとしていた物事の本質を、自分自身のものにしてください。それは、本に書かれた単語を覚えるというものではありません。哲学を日常生活での行動や直面する問題、陥りがちなパターンに結び付ける必要があります。

さて、あなたはどのように人生の道にヨガ哲学を取り入れますか?


Don’t Study Yoga Philosophy!

I get a lot of questions from students and friends asking if studying yoga philosophy  is important. As for most things, the first question I ask is “why”?

Let’s take a moment to look at the two major components of yoga: Practice & Philosophy.  

When it comes to the idea of Practice, most great traditions tell us we have to walk the road ourselves.  Sure, it may be possible to get some good hints and guidance from teachers but they can’t do the work for us. I read that Arnold Schwarzenegger said nobody ever built muscles by watching him work out. 

Most of us get that we need to practice. The questions then arise: What to practice? How to practice? And, most importantly, Why to practice?  This is where yoga philosophy has something to say. 

Yoga philosophy looks at the biggest questions: Why do yoga?  What is the purpose?  Ancient texts like the Vedas, Upanishads, the yogi’s go-to Patanjali Yoga Sutras and, of course, the Bhagavad Gita all share the ‘why’ in their own way.  These and a mountain of other texts, ancient and modern, delve into the ‘what to practice’ and ‘how to practice’. 

Yoga philosophy is also filled with memorable stories such as from the Ramayana and vivid episodes from various Puranas (ancient texts) such as the story of Virabhadra – the warrior created from a strand of an infuriated Shiva’s hair – and that of Samudra Manthan  (Churning of the Ocean). The morals and messages of these stories along with the unforgettable characters whose namesake poses we practice can be a great source of inspiration.  And, an interesting (even fun?!) practice is an all-the-more sustainable practice!

So practice and philosophy is like one hand washing the other.  Ever try washing with just one hand?

As seekers, we often rush into practice or searching for answers without taking a moment to determine our real question or objective.  

So, instead of the process looking like:

Question / Objective  →  research / practice → answer → review and renew Question / Objective  → continue process…

It looks more like:

(hmmm…this may be a good Rorschach Test – what do you see in the image?)

We run around trying a bunch of techniques, classes, workshops, teacher trainings, buying books, reading a bunch, forgetting most everything we read and studied and…find ourselves back at square one.

Alright, so this brings me back to the title of this piece “don’t study yoga philosophy”?  

Many people ‘study’ in that they try to learn the sanskrit words for nonviolence or memorize sutras or mahavakyas (grand statements) or the various stages of samadhi (enlightenment) etc..  But the question should be, what is our purpose?  If we are trying to become academics, then sure, go ahead and ‘study’. 

But if you are looking for the hand that washes the hand of practice, we need to ‘live’ the yoga philosophy.  Don’t just learn the words or memorize the concepts.  

Make the essence of what the ancients were trying to show us your own. In order to do this, we need to go beyond the words on the page.  We need to connect the philosophy to acts in our everyday life, the struggles we face, the patterns we fall into.

How will you bring yoga philosophy into your life? 

The Weather Just Is


*Scroll down for English

「今日はいい天気だね」こんな言葉が交わされるのは東京の寒い冬の朝、かすかな雲の切れ間から明るい太陽が降り注ぐときです。

そして街中でも「お天気がいいですね」と、通りすがりの人がマスクの下に笑顔と目を輝かせて挨拶しているのを聞いたりもします。

しかし天気はただの天気。天候には、良いものと悪いものという判断はありません。ただ、そういうものです。

判断は私たちの内側にあります。

くもりや雨の日は「天気が悪い」とか、ひどい天気などと表現されることがあります。

または、心を静かに、落ち着かせ、洗い流し、生まれかえるものとみなされることもあります。スローダウンして心のざわめきを鎮めるのに最適な時です。

雪の日は、雪によって予定が変更されたり、電車やバスの交通機関が乱れ、行動が遅くなるなど、不便なものだととらえることがあります。

または、この自然の驚異、ユニークで美しく、複雑でありながらもろく、つかの間の存在であるものの象徴として心を開くこともできます。

天気は天気。人生は人生。どうとらえるかはあなた次第。


The Weather Just Is

‘Ah, the weather is great today’, I hear my friend say as the sun bursts through the light, wispy clouds on this cool, winter morning in Tokyo. 

Tenki ii desu ne” (“the weather is good”), I hear passersby on the streets of Tokyo say as they greet each other with smiles behind their masks and a sparkle in their eyes.

But the weather is just the weather. It is neither good nor bad.  There is no judgement in the weather. It just is.

The judgement is within us. 

We can see a cloudy, rainy day as tenki ga warui, miserable weather Or, 

We can receive it as calming, soothing, cleansing and rejuvenating.  The perfect time to slow down and let the mental chatter subside.

We can see snow as an unwelcome inconvenience to our regular schedules, delaying our trains and buses, and slowing down our drive Or, 

We can open our hearts to this marvel of nature, a unique, beautifully intricate yet fragile and fleeting existence. 

The weather just is. Life just is. Maybe we can learn a lesson from them.


冬を元気に乗り切るには、服を衣替えするのと同じように食事や睡眠など生活習慣も“冬シフト”することが大切。インドの伝統医学であるアーユルヴェーダから風邪や冷えに負けない冬のセルフケアを学びましょう。

食事や睡眠も“冬シフト”で寒さに強くなる

本格的な寒さが訪れる冬は、風邪や冷えなどで体調を崩しがちです。寒さに負けずに元気に乗り切るためにはどんなセルフケアが役立つのか、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダの知恵を学んだマニーシュがお伝えします。

日本では季節が変わるごとに“衣替え”をします。暖かいセーターや靴下、コートなどで寒さに備えるわけですが、じつは食事や睡眠も“冬シフト”する必要があるのはご存じですか?

食事で言えば、冷たい飲み物を飲んだり、お刺身や生野菜サラダなどの生ものは極力避けること。いくら外から温めても、体を冷やす食事をしていれば、冷えや体調不調につながります。そして、冬はいつもよりも多めに栄養をとることで、体熱を生みやすい体づくりをする必要があるのです。

睡眠時間も、夏と比べて長めに寝ることがおすすめです。冬は体熱を生み出すエネルギーを多く消費するうえ、寒さで免疫力が下がりますから、毎日睡眠をしっかりとって体力回復を図ることが肝要なのです。

冬を健康的に元気に乗り切るには、季節に合わせた生活習慣の見直しが不可欠です。アーユルヴェーダでは、人間の体質は、ヴァータ(風)、ピッタ(火)、カパ(水)の3つから成り立つと考えられています(下記)。この3つは、季節にも当てはまります。日本の降雪が少ないエリアでは、冬季は冷えや乾燥のヴァータ(風)の傾向が高まります。もともとヴァータの傾向にある人はますます助長され、体の不調が生じやすくなります。

そして、どの体質の人にも共通するのは、年齢を重ねるにつれてヴァータが強まっていくことです。そのため、ヴァータを打ち消す『体を潤して温める生活習慣』を心がけることで、若さを維持し、冬の寒さに負けない強い体をつくることができます。その具体的なセルフケアについて次からお教えいたしましょう。

「体を潤して温める」冬の7つの生活習慣

①温かくて水分が多い食事が冬の食養生

体が乾燥して冷えがちな冬は、食べ物から水分と熱を体内に取り込むことが先決です。

根菜類や魚などをたっぷり入れた鍋物やスープがおすすめ。生ものはできるだけ避けて、蒸す、炊く、煮るなど火を通した食べ物をとることも心がけて。味つけは、甘味、酸味、塩味がヴァータを消す働きがあるとされています。

冬は外気が寒い分、体熱を生み出して体を温める必要があります。そのためには冬の間はよく食べて、よく体を動かすこと。そうすると体熱がよく産出されて、すみずみまでポカポカに温まります。

②体の内側から温めるスパイスを毎日少しずつ

生姜、ウコン、カルダモン、シナモン、クローブ――これらは体を内側から温めてくれる代表的スパイス。とくにおすすめはウコンで、代謝をアップさせて体を温めるだけでなく、抗菌・抗炎症作用があるので風邪の予防にもぴったりです。毎日少しずつ(たとえばティースプーン半分ほど)とる習慣をつけることで、冷えに強く、風邪をひきにくい体になります。

ウコンの簡単なレシピを紹介すると、根菜類など季節の野菜を煮込み、ウコンや唐辛子、少しの油を加えたスープ。スパイスと野菜の旨味がブイヨン代わりです。あるいはホットミルクにウコンや黒胡椒を加えた、大人のホットミルクもおすすめ。バターやギー(バターから不純物を取り除いたもの)、ミルクなどの乳製品は、体の潤滑油やエネルギー源になる良質の脂質がとれるので冬に最適な食材です。

③風邪をひきにくい体づくりは「睡眠」が決め手

冬にインフルエンザや風邪にかかる人が急増する要因の一つは、寒さで免疫力が低下するためです*1。体温が下がると体内の免疫細胞の活性が低下し、ウイルスに勝てずに風邪などの感染症にかかりやすくなるのです。

体の防御体制を強化するには「睡眠」が重要なカギになります。睡眠中は、病原菌と戦う免疫細胞が産生されます*2。免疫力を高めるために、冬は30分から1時間ほど長めに寝るのがベター。そもそも冬は日没が早く日の出が遅いので、自然のリズムに合わせれば自ずと寝る時間も長くなります。

④口内洗浄習慣が免疫力アップにつながる

帰宅したときや寝起きなど、ぬるま湯に塩を入れた塩水で、喉や口の中を洗い流しましょう。口内の雑菌を洗い流してくれます。鼻炎になりやすい人は鼻うがいも効果的です。

アーユルヴェーダでは、少量のゴマ油やココナッツ油を10〜20分ほど口に含んだままうがいする「オイルプリング」という健康法もあります。プリング(pulling)とは「引きはがす、引っ張り出す」の意味で、口内細菌や老廃物をオイルで絡めとって排出させることで、免疫力を高めることができます。

⑤寝起きの白湯がめぐりをよくする

朝起きたときは、体の水分が不足しています。白湯(沸騰したお湯を冷ましたぬるま湯)をゆっくりと飲むと、水分補給とともに体が温まり、内臓機能の向上や血流改善が期待できます。胃腸の活性化、体内デトックスなどにも効果があります。

⑥ぬるめの風呂はポカポカが持続する

冬になると熱い湯に浸かりたくなるかもしれませんが、熱いお風呂は逆効果。お湯が皮脂を落としすぎて皮膚を乾燥させ、出たときに急激に体温が下がるので湯冷めしやすくなります。冬は40度前後の湯でじっくり体を温めるのがおすすめ。副交感神経が優位になり、血管が拡張するので、あたたかさが長く持続します。

⑦オイルマッサージで血行促進効果

寝る前などに、つま先など冷えやすい部位を、あたためたゴマ油でマッサージしてあげましょう。これはアーユルヴェーダでは、アビヤンガ(油を塗る)といわれるボディケア法。皮膚から浸透したオイルが、体の毒素を溶かし出し外に排出しやすくすると考えられています。アビヤンガを継続することで、リラックス効果や眠りの質が高まり、冷え性の改善につながります。

自分を大切にするセルフケアで人生は変わる

7つのセルフケアのうち、自分が実践できそうなものを “冬のルーティン”として1日の中で実践する時間をつくりましょう。自分をケアする習慣をもつことで、意識が自分に向きます。そうすると、ちょっとした不調や前兆に早めに気づくことができ、セルフコントロールできる力が高まるのです。

仕事や家事、子育てなどに追われると、自分のことを後回しにしがちですが、私たちが第一優先しなければならないのは『自分を大切にする』こと。自分を二の次にすると、自分が少し不幸になります。それが積み重なると、やがて体調や表情、振る舞いにも現れてきます。自分を後回しにすることは、結果的には仕事や家族のためにもならないのです。

自分を大切にするセルフケアが習慣化することで、『自分を大切にする』思考と行動が定着します。それが健康な心と体づくりにつながり、人生を豊かにしてくれるのです」

冬になると草木が枯れて寒々しい風景が広がりますが、冬は春に向けて成長のエネルギーを蓄える時期。エネルギーをじっくりチャージする冬あるからこそ、春に花を咲かせる生命力が発揮できるのです。寒い冬こそ、いつもよりも養生を心がけて、自分を大切にいたわってあげましょう。 

※マニーシュ監修のフィリップス・ジャパンの記事より転載

参考文献・サイト

*1 Ellen F. Foxman, et.al. “Temperature-dependent innate defense against the common cold virus limits viral replication at warm temperature in mouse airway cells”  Proc Natl Acad Sci USA,112(3),827-32,2015

*2 久留米大学がんワクチンセンターサイト「週刊がんを生きよう第1部」 第35回目がんと睡眠と免疫機能について http://www.med.kurume-u.ac.jp/med/cvc/F/magazine3.html#magazine_35

Coming Home: 3 Simple Steps


*Scroll down for English

apne ghar vich aa, e gal asli aa

dhoondan kite na jaa, e gal asli aa

Homeの中に入ってください、これは本物です

外に探しに行かないでください、これが本物なのだから

母が先日、このパンジャビのバジャン(bhajan 祈りの歌)を私にシェアしてくれました。 それは何世代にもわたって受け継がれ、私たちがヨガ(そして人生)の実践で探求している本質を捉えています:それは本物で永続的な平和の感覚を見つけることです。

ヨガのクラスでは、「観察する」、「沈黙を味わう」、「paramātma(普遍的な魂)がjivātma(個人の魂)を見る」などの言葉を使用します。 しかし、皆さんの心に響く表現は「Homeに戻る」でしょう。

Homeは安全で守られ安定している場所や空間です。 そして避難所であり聖域です。 Homeは暖かさに包まれ、この上なく幸せが満たされていると感じます。 そして本物のHomeでは、保護されると同時に自由であると感じます。 間違った方向に進まないように守っていますが、やりたいことを自由にでき、自分らしくいることができるところです。

私たちが忘れがちなこと-Homeはいつでも、どこでも、何であっても、あなたと共にいます。

目を閉じて、ここにいることを感じてみましょう。そう、これがホームです。

–> ‘Homeに戻る’ 3つのシンプルなステップ —

ヨギたちが保証するように、簡単そうで実現可能です。しかし、実践するためには少しサポートが必要です。

以下に、Homeに戻るための3つの簡単なステップをご紹介します。

  1. DehaDhāraṇā(体の集中)

・容器として与えられた自分自身の体にフォーカスを向けることで、意識を外の世界から内の世界に移します。

・頭のてっぺんからつま先の先までゆっくりと体をスキャンします。 もし集中の助けになるようなら、右小指の先端に注意を向けるくらい意識を研ぎ澄ませてみましょう。

  1. PrāṇaDhāraṇā(生命力/呼吸に集中)

・意識を自分の体から、より微細な呼吸に移します。

・自然に楽に動く呼吸に注意を向けて今の瞬間を感じていきます。これは簡単で退屈な動作のように感じるかもしれませんが、このプロセスが定着すると、柔らかさと深いくつろぎを体験できます。

  1. 今ここにいること

・そして最後に、あなたの意識をその瞬間に向けていきます。

・どこにも行かず、何もせず、そしてあなたは他の誰でもありません。

今年のクリスマスとお正月のホリデーシーズンは、帰省して家族に会うことや、友人を訪ねることはできないかもしれませんが、私たちは自分の中のHomeには戻ることができます。よい年末年始をお迎えください。

Happy Holidays

Maneesh


Coming Home: 3 Simple Steps

apne ghar vich aa, e gal asli aa

dhoondan kite na jaa, e gal asli aa

Come inside your Home, this is the real thing.

Don’t go searching outside, this is the real thing.

My Mother shared this Punjabi bhajan (devotional song) with me the other day. It has been passed down for generations and captures the essence of what we are trying to do with our yoga (and life) practice: find a real and lasting sense of peace.

In yoga class, we use words such as ‘observe’, ‘savor the silence’, ‘the paramātma (universal soul) watches the jivātma (individual soul)’. But the expression that has really resonated with students is ‘Coming Home’. 

Home is the place, the space where you are safe, secure and steady.  It is a refuge, a sanctuary. At Home, you feel blanketed with warmth and blissfully nourished. And in a true Home you feel protected and free. Protected from the forces that pull you in the wrong direction yet free to do and say what you want and to be yourself.

Here’s the thing we often forget though – Home is with you whenever, wherever, whatever. 

Just close your eyes and let yourself be Here, at Home.

It sounds easy and it can be, the yogis assure us.  But we often need a bit of support in this pursuit.  So here are 3 simple steps to bring yourself Home:

  1. Deha Dhāraṇā (body concentration)
    • Shift your awareness from the outer world to the inner by focusing on the physical vessel you’ve been given  
    • Slowly scan the body from the top of the head through to the tips of the toes. If it helps you to go in, get as detailed as bringing attention to the tip of your right pinky finger.
  2. Prāṇa Dhāraṇā (life force / breath concentration)
    • Now shift your awareness from your gross body to your more subtle breath
    • Just rest your attention on the breath as it moves naturally and effortlessly – this may seem like an easy and boring activity but once the process takes hold, you will experience a softness and a profound unwinding
  3. Be Present
    • And finally, let your awareness rest in the moment
    • There’s nowhere to go. There’s nothing to do. There’s no one to be.

This Christmas and New Year’s o-shogatsu Holiday season, we may not be able to go to our physical homes to visit family and friends but we can surely be at Home inside ourselves.

Happy Holidays

Maneesh